人間生活

思考の整理。

道化を演じてる商売人に反応するのはアレだけど。

 

堀江氏、過度の外出自粛は「人間であることを放棄」

https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202004080000112.html

 

人間であることを放棄、というのは少し考えさせられる表現。

例えば、自分が感染しない、広めないためには家にいて誰にも会わなければ良い。単純明快。学校もリスクを避けるには休校するのが良い。

じゃあ、これから半年?一年?皆が家にいて誰にも合わずに過ごしたらそれで良いのだろうか。それでウイルス感染が回避できたとして、その間に一人の人間としてできたこと、やるべきだったことはどうなるのだろう。

自分なんかは比較的仕事のペースを調整できる職業・年齢なので、半年、一年消えても大して構わないけど、そうではない人も多くいる。15才には15才にしかできないことがある。盗んだバイクで走り去る、とか。時間は誰にでも平等に過ぎるけど、価値は平等ではない。社会活動を全て放棄してでも、一年でも長く一人でも多く生存することが「人間であること」の究極の目標なのだろうか。生物とはそういうものだ、という意見もあるだろう。

 

今回、皆が様々なものを手放した。

コロナウイルスだけではなく、感染症は他にもあるし、交通事故、通り魔、ブラック企業パワハラ、日々生きていると様々なリスクがある。皆、それを呑み込んで生きている。逆に言えば、リスクが大きすぎることには手を出さずに生きている。

今回、皆が手放したものというのは、実は「人間であること」のためには必要なかったという捉え方もある。そう考えると、もう少し社会はシンプルでわかりやすくなるし、生きやすくなる面もあるだろう(満員電車<テレワーク、とか)

シンプルになる代わりに、文学とか社会科学とかの出番は大きく減るかもしれない。 

 

思考の整理中なので、特にオチはなし

 

 

※蛇足として、この種の言説は「人間であること」をある枠組みに特定する傾向がある。例えば、引きこもり、肢体不自由で外に出ることもない人は既に「人間であること」を放棄しているのか。ホリエモン氏に言わせると「バカが言葉尻を~」となるのだろうけど。

実は、こういう異質な他者排除への欲求は宿痾のようなもので、折に触れてじわじわと膿のように滲み出てくるのだと思う。

 


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