電脳格差

昨日の補足。
20何年前の話。札幌で浪人しようとしたのだが、その時に申し込んだのが代ゼミの「サテライン早慶上智コース」(名前はうろ覚え)だった。これは札幌校にいながらにして、衛星中継で東京の有名カリスマ講師の講義が聞けるという(当時としては画期的な)コース。東進とかよりも先に始めたんじゃないのかな。わからんけど。
だから、というわけではないけど、自分は対面の講義が絶対だとは思っていない。講義のやり方はいろいろあるし、やりようによっては対面よりも得られるものはあるかもしれない。マルチメディアな教材を活用して、関心を引きつける様々な工夫をするのは重要だと思っている。
ただ、自分が予備校でサテラインコースを選んだのは、そんな場所で人間的なつながりを得ようという気もなかったからで、講師なんか目の前にいなくて良いと思ったからである。予備校の授業なんて一年限定のテクニックの取得で、それなら景気の良さそうな講師の方が良かろう、くらいの感じだった。だけど、大学で伝える知識、というのはそういう種類のものなのだろうか。録画した映像をオンデマンドで引き出せるとして、大学の講義というのはそれでよいのか。少なくても、自分は目の前にいる研究や議論を共にできる相手に対して話したいと思っている(現実にわかりやすい講義なのか、議論が成立しているとかとは別の話で。そうしたい、そうであってほしいという話)
 
現状で、オンライン講義について自分がどうしても抵抗感があるのは、しつこいけどデジタルデバイドの問題もある。
例えば、うちの大学の場合はネット環境が整っていない学生に対して、オンライン講義期間中も学内無線LANを利用しての受講を認めている。これでネット格差も解消かというと簡単でない。ある学生は自宅で受講できるのに、ある学生はリスクを負って大学まで出てくる必要がある。なぜ、その違いが生まれるのか。オタクの家はネット環境を構築する意思(もしきはカネ)がないのが悪い、という説明をするしかないが、大学というのはそういうものなのだろうか。
自分はアナログな人間だけど、例えばICT林業、スマート林業はゲームチェンジだと思っているし、積極的に導入するべきだと思っている。だけど、教育はビジネスではない。一番後ろを歩いてくる人にどう対応できるのか、を十分に考慮すべきだと思う。デジタルデバイドの問題は、本人の意志だけでは解決できない問題なのでどうしても慎重になってしまう。
 
今回の事態はあくまで緊急回避だと思うので、現在の環境でやるべきことをやろうとは思う。蛇足としては、本学のオンライン講義はリアルタイムの動画配信に限定していないことは明記しておく。
 
ただ、これを機に各所で講義を省力化しようという動きが出てくるのではないか(尊敬する教育学者の先輩の指摘)。
大学も忙しいし、それでも良いという考え方もあるかもしれない。
だけど、教育負担の軽減、という言葉を聞くたびに、振り飛車に対する穴熊、みたいなわかりやすくも、なんとも言えない息苦しさを自分は感じてしまう。
 

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