過去旅_台湾旅行(2014年)

2014年9月、台湾に行った。

 

当時勤務していた大学では学外の森林を見学することで単位になる実習があり、その年は現在は琉大に移籍したO先生の企画で台湾が行き先だった。自分は学部は担当していない「特定教員」だったので関係なかったのだが、年休をとって個人で着いていった。

台湾は初めて行くのだが、特に情報がなかった。東京にある台湾観光協会東京事務所に行ったり、書泉グランデの上の階の鉄道コーナーで時刻表を買ったりした。前半は大学のチームと一緒に回り、その後は台湾に残って鉄道旅をしようと思ったので、時刻表は大変便利だった。時刻表は個人(サークル?)が趣味の延長で作っており、鉄道界は本当に偉人が多い。

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この旅は最初から波乱だったのだが、飛行機がトラブルで飛ばなかった。関空で10時間くらい待機して、深夜に台湾に到着。ジェットスターなので文句は言えないと諦めていたが、お値段も片道2万円もしなかったと思う。

大学の見学ツアーはO先生が現地のガイドに依頼しており、小型バスの移動と、食事、宿も全部お任せだった。ホテルも結構良いグレードだったが、現地滞在分は全部込みで3泊4日で一人5万円程度だった気がする。安かった。

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着いた翌日は阿里山に行った。
阿里山は世界三大森林鉄道の1つ阿里山森林鉄路があるが、数年前の台風被害で途中の奮起湖から先が運休となっている。この時はバスで阿里山まで上がり、山頂部の路線にのみ乗車した。後半、個人で行動する時に嘉義から奮起湖まで乗車したが、これは別項で。

 

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阿里山では台湾紅檜の森を歩いた。観光用の木道が整備されている。韓国、台湾は森林観光が盛んだと言われるが、よく整備されているし、観光客も多い。台湾国有林は基本的に禁伐だが、その代わり膨大な観光収入を上げている。この辺りは数年後に科研調査で話を聞きに行く機会があったが、日程の関係で行けなかった。残念。

 

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森林鉄路は寸断されているが、阿里山の山頂部の観光路線は健在だった。早朝のご来光を見に行く便が阿里山駅から祝山駅まで出ている。日の出に合わせて出発売るが、満員御礼の大混雑だった。展望台から台湾最高峰の玉山から昇る朝日を見た。玉山は戦前は新高山と呼ばれていた山で、「ニイタカヤマノボレ1208」で知られている当時の日本最高地点である。新高山探検をめぐる本多静六伝説は農工大学のT氏が詳細に調べており、とてもおもしろい。

 

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嘉義市では嘉義大学を訪問した。嘉義大学は台湾の国立総合大学で、戦前の嘉義農林学校が前身である。嘉義農林高校野球好きなら知っている人も多いが、戦前期に甲子園に出場して決勝まで勝ち進んだ(現在の中京高校に敗れた)学校である。日本人、中国人、先住民が融合したチームは甲子園の伝説の一つとなっているが、この話が映画化されてちょうどこの時期に台湾で上映されていた(KANO 1931海の向こうの甲子園)。翌年に鹿児島のガーデンズシネマで観ることができた。日本人が主人公ではあるが、台湾人の視点で作られており、いろいろと複雑な映画だった。

 

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嘉義は台湾屈指の林業地だった阿里山の入り口の町で林業で栄えた地域である。嘉義市内には日本統治時代の旧営林局の建物が観光地化されていた。親日という言葉はあまり好きではないが、日本統治時代に対する親しみの度合いは強い。これまで何カ国かに行ったが、ここまで日本好きな国は行ったことがない。これで「戦前の日本は悪いことばかりじゃなかった」と短絡的に考える人もいるが、その後の国民党政権の苛烈な統治の反動という背景もあり、単純に喜ぶ話ではないと思う。台湾人は陽気で親しみやすいが、大国の都合で翻弄されてきた歴史を軽く考えてはいけない。

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最終日、嘉義から日月潭経由で台北に戻った。日月潭は日本統治時代に作られたダム湖で、現在は観光地となっている。途中で伝統的な紙漉き工場があるので見学したいと言ったら、ガイドのおじさんが手配してくれた。阿里山の山頂で夕食が二回出てきたりとか謎のおじさんだったが、それなりに有能だった気がする。食事はどれも美味しかった。

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台湾の市街地で大学の御一行と解散した。
以後は個人旅行、台湾鉄道一周の旅。